雪の夜、彗星探しの日記(弐)

雪夜彗星のブログ。内容も更新頻度もまちまちです。「弐」なのははてなダイアリーから移行したので。

夢見た星空を夏鳥が飛ぶまで

 無事に公式より先日の上映会の報告や5月20日の芝浦工業大学での上映のお知らせが出ましたので、映画「俺ら、夏鳥」の製作をしてきた私個人としての今の思いを綴ります。Twitterに書く事も考えましたが、せっかくブログも持っているのでこちらに書くことにしました。

 何から書こうかと迷った時に、まずはこれを書かないと、と思ったのが初めて作った映画のこと。
 高校2年生の時、文化祭のクラスの出し物として作った「Dream RING」が初めての映画でした。今観ると、稚拙な映画ですが、上映された時は先生方に大変好評頂き、進路の先生にも「あれを作った人は是非その道に進んでほしいですね」とまで言わした作品です。内容は音楽祭に向けてばらばらだったクラスが不思議な指輪の力を使ってひとつになっていくという物語。
 この時、私は監督ではなく、撮影と脚本でした。現場の仕切りや演出はアメコミと映画が大好きな友達で正に適任。かたや当時の私は文芸部とパソコン部に入り、写真も趣味でやっていたものの映画には全く興味はありませんでした。そんな私が映画映像製作に目覚めたきっかけがこの「Dream RING」だったのです。

 そこから映画甲子園で佳作を貰った「星の子たちの邂逅」、大阪芸術大学の映像学科に入り、卒業制作として作った「空花瓶」をはじめとする作品群を経て、「俺ら、夏鳥」の製作するに至りました。

 「俺ら、夏鳥」の企画書を書き始めたのは2016年の8月頃だったかと思います。当時は「End and NEXT Summer」というタイトルでした。表にこの映画の話を出した時もまだこのタイトルだったはず。
 ただ、人力飛行機を描く映画についてはずっと前から構想は持っていました。過去のTwitterの投稿を遡ると映画を作り始めた高校生の頃からそのような野望を持っていたようです。その頃にどんなものを思い描いたのは思い出せませんし、その時のデータも残っていませんが、「俺ら、夏鳥」のルーツがどこかと言えば、ここが最初になると思います。
 大学に入ってからもシナリオの授業で人力飛行機を取り上げたものを書いていました。もちろん、それを映像化、映画化する事は考えましたが、その頃は飛行機そのものも美術で作ることを考えており、どう作るか、予算はどうするのか、人手はどれぐらい必要か、という事を考えて諦めていました。

 そんな中で色んな作品を作りながら大学を卒業し、社会人になり迎えた最初の夏。中村航氏の人力飛行機チームを舞台にした小説「トリガール」の映画化の話が出てきました。
 ここで先程の「End and NEXT Summer」の企画書を書き始めました。大学時代に実際に人力飛行機をつくり、そして映画を専攻してた私が撮らないで誰が撮る、みたいな気持ちだった気がします。先に言ったとおり、険しい道程になるのは分かっており、どうせ無理かもしれないとも感じていました。ただ、まずは人が集まったら撮ろう、飛行機は協力していただけるチームが出てきたらいいな、いなかったら諦めよう。そんな半分無理だろうという思いで始めた企画が、ちょっと声をかけてみたら人が集まり、出来るんじゃないか、と感じて本格的に動くようになりました。
 こうなれば最初は1年での完成を目指し、最初のトリガールに合わせられるように、と撮影も考えていたのですが色々あって1年近くもずれてしまいました。
 自主製作映画なので、謂わば自己満足ですから、途中で製作が終了になってしまう作品も世の中沢山あります。途中、この作品でも諦めかけた事もありました。ただ、今まで自分が作ってきたどの作品よりも多くの方の力添えがあり、励ましがあり上映会を出来るまで漕ぎ着ける事が出来ました。
 本当にこれだけの応援を貰えるとは、想像していませんでした。

 感涙、以外の言葉が見当たりません。
 高校の時に作った「Dream RING」は当時、大変好評だったという話をしました。出来は稚拙でしたが、「俺ら、夏鳥」ができるまでは、Dream RING以上に自分の周りで話題になる映画を作る事は無く、それを越えるものができるとも思っていませんでした。
 しかし、Twitterで #俺ら夏鳥 と検索すると多くの方が感想などを投稿して下さっています。本当にありがたい話です。こんなに多くの人に関心を寄せて貰える事になるなんて、というのが本音のところです。

 今回の記事のタイトルのうち「夢」はDream RING、「星」は星の子たちの邂逅、「空」は空花瓶、そして「夏鳥」はもちろん「俺ら、夏鳥」と今まで作ってきた作品を繋げてみました。

 本当にこんな作品を作らせて頂いて、ありがとうございました。