雪の夜、彗星探しの日記(弐)

雪夜彗星のブログ。内容も更新頻度もまちまちです。「弐」なのははてなダイアリーから移行したので。

夏鳥の亡霊と成仏に関する駄文

 
今年も鳥人間コンテストの放映が終わり、私は三十路の誕生日を迎えてしまいました。
それに合わせた駄文です。思い出話みたいなものなので、読むも読まないも、写真だけ眺めていくのも自由です。

今大会はBirdman House 伊賀(以下BHI)のサポートメンバーとして、それに大阪公立大学 堺・風車の会(以下風車の会)のOBとして行ってました。

上:大阪公立大学 堺・風車の会「willow」
下:Birdman House 伊賀「Phantom」

 両チームの結果は放映のとおりです。風車の会は主翼は飛行中に破損してしまって1100mちょっと。BHIは70kmゴールライン手前で着水。正確な距離は公式サイトで見てくださいな。全チームの記録は下の方にある「大会の歴史」から「第45回大会」で見れます。

 後者について、人力飛行機の世界記録フライトのダイダロス88が、砂浜を直前に着水した瞬間と同じじゃねえか、なんて思っていました。

 

 去年、現在の所属チームであるチームあざみ野で大会新記録を出して成仏したと思っていたのですが、今年やっとその実感できた気がするので、徒然と筆を執った次第です。
 亡霊になった瞬間の心当たりからでも記しましょうかね。

 


2014年の風車の会の機体「天鳳

 私の執行代は2014年。当時は今は無きタイムトライアル部門に出場しており、では旋回中に着水で記録無しでした。


2014年、応援に来てくれた友人に撮ってもらった写真
 よその大学からチームに入って、散々辞めようと思いながら、やっと終わりにできると登ったプラットホームで「これで終わるのか」と思ってしまったのが良くなかったですね。数年経ってから思い当たりましたが、あの瞬間に亡霊化しました。
 一言、「未練」でしょう。


  2015年の風車の会「舞鷺(Blow)」

 ただ翌年に後輩たちが優勝してくれたのですが、それで成仏出来ていなかったのもタチの悪いところです。
 その後社会人になり、誘われて通勤沿線上にあったという理由でチームあざみ野に入り、そこから色々なチームと関わっていくことになります。
 とはいってもしばらくは2014年の着水の瞬間は夢にみていました。この話を人にして「トラウマでは」と言われることがあるのですが、まあそれで界隈離れようとはならなかったのでトラウマではないと思います、多分……。

 ただこれだけ関わっているにも関わらず飛行機の設計は10年チームに入ってても出来ません。ずっと見ていると感覚で「こうするとああなる」ぐらいはなんとなく分かりますが、いかんせん計算がさっぱりなもので。こういうところでたまに高校時代に私立文系大学受験全振りをした選択をしたことを悔やんだりします。物理の授業さえ受けたことがありません。数学「B」の授業も受けていません。信じられないかもしれませんが、本当です。そこから芸術大学に進学して映画の勉強してました。
 そう、私は大阪芸術大学映像学科の卒業です。そこに人力飛行機や滑空機を作っていたり、グライダーに乗れるような部活はありません。ちなみに高校時代は芸術系の科目も最低限しか取っておらず、大体は現代文か歴史系の授業ばかりでした。それでもAO入試で入っています。
 大学入学した頃にTwitterで入学した大学とは別の大学のサークルに入っているのを見たのがきっかけで風車の会に連絡を取ったのがきっかけでした。ここで大芸で人力飛行機サークルを作ろう、とならなかったのは思えば不思議だと卒業後に思いますが、この選択が個人的には色んな意味でいい方向に動いてきたとは思っています。大芸でチームを作っていれば、それなりの成仏をしたかもしれませんし、逆に飛行機が嫌になっていたかもしれません。

 話を今に戻しましょう。今年の結果を見て、
 「惜しかった」
 「あと少しだった」
 とはいくらでも言えます。風車の会の後輩らには来年頑張って欲しいですが、個人的にはもう鳥コンでは十分すぎるぐらいの経験をさせてもらいました。2013の新記録からの3位、2015の優勝、2022の新記録も含めて、我ながらよくここまで運が回ってきたなと思っています。運が回ってくるまで亡霊だった、と言われると全く反論の余地がありません。本当なら1回生(2012)の時、その活動の様子を見て「ここまで心血を注ぎ込めない」と思ってその年の大会に参加したら諦めをつけてやめるつもりだったのですが。
 そこから成仏まで10年、その実感と確証を得るのに1年かかってしまいました。

 結果論とはいえ、こんな人でもチームに関わることになりました。「努力すれば夢は叶う」なんて言うつもりはありませんけれども、やりたいと思って歩いていれば少しは何かできるようになるのではないかと思います。


2022年、チームあざみ野で参加して滑空機部門の優勝、新記録のフライト。

 幼い頃からテレビで見ていた世界の向こう。
 学生の頃に敵わないと思っていた記録の向こう。

 憧れていた以上のところに辿り着いてしまいましたし。亡霊の成れの果てのようなものだと思っています。
 新記録も優勝も、滑空機もディスタンスもタイムトライアルも、それにドラマの監修まで十分に美味しい思いをさせてもらいました。撮った写真を渡せばチームの記念にも解析にも役立つ記録になりますし、それが多分、この界隈へのお礼の仕方でもあると思っているので。
 後は記録飛行の達成する瞬間にカメラマンとして立ち会い、あとは私の監督作、映画『俺ら、夏鳥』(リンク先はDVD案内ページです)の続編を完成させて、ぐらいですかね。


風車の会の同期に撮ってもらったBHIメンバーが降りてくるのを待っている私。

 大会のライブ配信で今年BHIのフライト中に私の名前がボートメンバーから読み上げられていましたね。あの時、厳密にはプラットホームの下からみていました。でないとバズーカレンズを構えられないので。その時の写真をチーム内チャットで送ったのが読み上げられたみたいです。上の写真の位置から撮っていました。


その時に送った写真。

 あそこから飛び立つ飛行機を眺めるのは良いものでいくら見ても見飽きませんが、無理してあがらなくてもいいかな、なんて思っています。


 多分これが、成仏、なんでしょう。

 こんなお気持ちの駄文を最後まで読んでいただいてありがとうございました。


 ではでは、今年の夏はこの辺で。また琵琶湖でお会いしましょう。
 成仏したとはいえ、渡り鳥は毎年、決まった季節に同じ場所に集います。鳥人間なんて夏に琵琶湖に集う、夏鳥みたいなものですからね。