雪の夜、彗星探しの日記(弐)

雪夜彗星のブログ。内容も更新頻度もまちまちです。「弐」なのははてなダイアリーから移行したので。

「したい事」の理解と信用

 一昨日は大阪府内の某所でテストフライトでしたが強風と雨のため、滑走すら出来ず。
 そして昨日は堺市の鉢ヶ峯の無縁仏の供養会にクラブに行って参りました。人との繋がりでこういう事もするのです、僕らのクラブというのは。

 僕が通っているのは芸術大学ですし、専攻は映画・映像です。無論、人がたくさん必要ですし、課題であれども学外ロケもやる時はやります。役者さんも外部の人に頼んでやってもらったりするのですが、そんな事を毎年している中で大学に対する役者たちの印象が悪い、という話を先輩(留年して同期になっているのですが)から先日、聞きました。
 だから、自分は外部の役者に頼むのは嫌だ、みたいな感じがしましたね(笑)。

 まあそりゃそうでしょう、というが僕の率直な感想なんですが、それでもやっぱりいい映画・映像作品を撮ろうとすると外部の人に頼んだほうがいいのも明白な事実です。
 どうして、そういう風な印象がついてしまうのか。と言う事を、彼は考えたのかどうか知りませんが個人的に意見を言わせてもらうと、僕ら映画・映像を作りたい側の人間が相手に対して「自分らが作るんだから」という半場上から目線でいるのと、「借りてしまえば何をやってもいい」というような考えで動いていたのではないでしょうか。そこまでならまだいいとして、ロケ中にスタッフが周りを見ていなくて一般人をロケ後にきちんと「お礼」をせず、「感謝の意」をしっかりと伝えなかったりしたのではないでしょうか。などと考えています。そんなに悪評がたつのならそれだけ色々やらかしたのしょう……。
 それに、普段から社会活動のような事に積極的に参加していくのもこういう印象を払拭する手段の一つではないでしょうか? やっぱり知っている顔に場所や物を貸すのと、知らない人に貸すのとでは信用の水準も違うと思います。「星の子たちの邂逅」や現在目下編集中の「川」でも使った近所の池の畔は普段から井戸端会議で訪れている場所で知り合いも多いので「今度映画のロケしますー」と言うだけで(時間帯によりますが)ある程度話が回ったり、差し入れを頂いたりします。それだけの付き合いがその人と僕の間に「信頼・信用」があるわけですね。
 こういう所で理解を得て、見合う礼を尽くせば、そんなに悪評されるようなことはないのではないでしょうか。関わってくれた、手伝ってくれた人全てに。

 冒頭で供養会への参加の話を少し上げたのもこことつながっていて、いくらクラブと言えども作っているものが作っているものなんで、こういう所に出向いて活動することで理解と、そして何より寄付をしてもらえるようになっていくんだなと実感している次第です。
 それにこれから大学の課題で本格的に撮っていくようになりますし、自分への戒めも含めて……。